長砂連古墳(ながされこふん)
■指定区分 県指定
■指定種別 史跡
■指定年月日 昭和50年5月7日
■所在地 大矢野町中7554
長砂連装飾古墳は岬上(約25m)にあり、昭和6年(1931)に隣接する金毘羅宮の建設工事によって発見されました。すでに墳丘と天井部はなく四方の石障(石室の側壁)と肥後型の横穴式石室を示す羨道の石が残っていましたが、本来は兵陵の頂上部分を利用して築かれた円墳であったと考えられます。
装飾古墳とは死者を葬る石棺や石棺の周りの施設にも彩色や彫刻で絵画が描かれた古墳のことをいいます。長砂連古墳は「直弧文」という紋様をもつ装飾古墳として全国的に有名な古墳です。
以前玄室(遺体を収めた部屋)は、阿蘇凝灰岩の一舞石で四方を箱型に囲み、内部は70cm間隔で縦仕切りの三区となり、そのうちの南側の区間はさらに大小二区に仕切られていて、埋葬床と副葬品が収められていたようですが、多くのものが失われ、わずかに直刀片と鉄鉾が残っているのみでした。
昭和50年(1975)に石室の保全修復工事と墳丘の一部の復元が行われました。長砂連古墳が築かれた時期は五世紀中頃から後半頃だと考えられています。この時期の日本では、現在の近畿地方で大和王権を中心とする政治的なまとまりが形成されはじめ、「倭の五王」と呼ばれる大和王権の大王たちが頻繁に中国に使者を送っていました。その古墳内に描かれた、直弧文という大和王権との関連が考えられる装飾が施されていることから、大和王権との関係も深かったのではないかと考えられています。
ここから海峡をはさんで、広浦装飾古墳や大戸鼻装飾古墳を望むことができます。
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